C 里山とは
古来日本民族は田野に挟まれて清流のあるところ(カタヒラ)にサトを築き、水害の忌避と豊穣を祈る神を祭り、また自らも食すのに必要なミキとミケ、つまり酒と米を作って生活していた。このサトとは都に対する田舎、故郷、人家の集まっている所の意味を指すが、このサトが共有地として自給肥料や日常生活の糧などを得ていたヤマを、畏怖と信仰の対象であった深山幽谷のオクヤマと区別して、ウチヤマあるいはサトヤマと昔は言っていた。それを学術的に述べたのは日本の森林生態学研究の草分け的存在である京都大学名誉教授四手井綱英氏で、1967年に「農用林」を「里山」としたのが最初の用例と思われる。
しかし、その定義になると非常に難しい。辞典の類だと「里山」が記載されたのは最近のことで、1995年に発刊された大辞林第二版が最初のようだが、それによると「集落の近くにあり、かつては薪炭用材や山菜などを採集していた人と関係の深い森林」とされている。また広辞苑では第五版(1998年発行)から初めて掲載された語で「人里近くにあって人々の生活と結びついた山・森林」と説明され、さらに「世界大百科辞典」には、「奥山に対して人家の近くにある山をいうが、厳格な定義はなく、古くから四壁林(しへきばやし)、地続山(ちつづきやま)といわれていたのは、集落の周辺の山、田や畑に接続する山を意味し、里山は村落での生活の燃料採取の場であり、田畑の肥料の供給源で、村共同で入林する入会山であった」と記されている。
また、その他にも例えば「里山を考える101のヒント」(日本林業技術協会)には、故郷・かつて成立していた人の営みと自然環境の調和した一つの空間・奥山に対応する言葉として案出されたもの・日常生活及び自給的な農業や伝統的産業のため地域住民が入り込み資源として利用し攪乱することで維持されてきた、森林を中心とした景観・鎮守の森・雑木林や草地、それらに囲まれた谷津田などからなる農村の環境・かつては太陽からの恵みを受けて生活に必要なさまざまな物質を生み出す宝の山などと様々な定義がされている。
このように、様々な定義がされているが、本実習では多くの文献の定義を参考にして、里山を「薪や炭などの燃料や田畑の肥料などを採取するために、集落の人間が日頃から下草刈りや枝打ちなどの手入れを行って維持してきた森」と定義することにした。