強い土浦  〜ゆるがないを持つ魅力あるまち〜
2016年度都市計画マスタープラン策定実習8班

現状

土浦市の概要

 土浦市は茨城県発足から1980年代まで茨城県南地域の行政・経済及び周辺地域の交通の要衝としての役割を担っていました。 大正7年の筑波鉄道(旧・関東鉄道筑波線、1987年廃止)の開通、東隣の稲敷郡阿見村(現:阿見町)に昭和4年に海軍航空隊が設置されたことなどによって交通の要衝となりました。料亭や遊郭その他休養施設が多かったこともあって、終戦に至るまで海軍の町でもありました。戦後は、土浦駅西口(市中心部)に小網屋(1999年閉店)、京成百貨店(1989年閉店)、丸井(2003年閉店)などの百貨店が立地し、商業都市としての役割を担っていました。しかし、1970年代以降の筑波研究学園都市の開発、1990年代以降のモータリゼーションの発達や規制緩和による郊外型店舗増加により、中心市街地の求心力は低下しました。一方、現在も行政機関が集積されているほか、周辺市町村より多く高等学校が立地しています。

人口

 土浦市の総人口は平成12年をピークに減少傾向となっており、平成27年1月時点では141,896人となっています。その一方で、平成27年における65歳以上の老年人口は37,007人であり、昭和55年の9,963人と比較すると約3.7倍増加しています。

現状1
図1 土浦市の年齢別総人口

商業

 土浦市の中心部は1980年代までは商業の集積地としてにぎわいを見せていましたが、近年はモータリゼーションの進行や人口減少、イオンモール土浦やつくば市の大型商業施設の開業により、中心部からの商業施設が拡散しています。

現状2
図2 土浦市の事業所数と商品販売額の推移

 図2は土浦市の事業所数と商品販売額を表しています。イオンモール土浦の開業により、年間商業販売額は回復傾向を見せているものの、事業所数は小規模の事業所の閉店等を原因に減少が続いています。

工業

 土浦市には図3のように、主に4つの工業団地があります。それぞれ「東筑波新治工業団地」、「テクノパーク土浦北工業団地」、「土浦おおつ野ヒルズ」、「神立工業団地」と称されており、これらの工業団地は土浦市企業立地促進奨励金という制度の対象地となっています。
 土浦市の工業を県内で比較してみると、平成25年時点で事業所の数は県内第12位とそれほど上位ではないものの、従業員数は県内第4位、製造品出荷額等は県内第6位と上位に位置していることが分かります。

現状3
図3 土浦市の工業団地

農業

 農業ではレンコンの出荷額が全国一位であることが知られています。またレンコン栽培以外にも、新治地区を中心として盛んに農業が行われています。
 その一方で、農家の数は減少しています。図4のように、昭和50年時点で2,967軒あった農家が平成17年時点では半分以下の1,251軒まで減少してしまいました。平成22年には新治村の合併に伴い若干増加はしましたが、長い目で見ると大幅な減少傾向にあることは否めません。この農家数の減少に伴い、耕作放棄地は昭和50年には39haでしたが平成22年には574haと10倍以上面積が増加しました。

現状4
図4 土浦市の耕作放棄地の面積と農家数の推移

交通

 土浦市内は南北にJR常磐線が縦貫し、北から神立駅、土浦駅、荒川沖駅の3駅が立地しています。また、これらの3駅を中心に市内各地や周辺の自治体に向けてバス路線が伸び、多くの人が利用する市民の足となっています。この他に、コミュニティバス「まちづくり活性化土浦キララちゃんバス」や「のりあいタクシー土浦」も運行されており、様々な公共交通を利用することが可能です。
 一方で、公共交通の利用者は「キララちゃんバス」を除いて減少傾向にあり、利用が少ないために廃止されてしまった路線もあります。また、バスが運行されていても1日当たりの運行本数が10本に満たない地域もあります。ところが、これらの運行本数が少ない地域や路線が廃止されてしまった地域でも人口が多い地域が存在するなど、公共交通を気軽に利用することのできない人の数は決して少ないとは言えません。

現状5
図5 土浦市内の鉄道・バス路線と運行本数

医療・福祉

 介護保険サービスの利用者数は図6のように変化し、需要は年々増加していると言えます。

現状6
図6 介護保険サービスの利用者数

 医療施設の分布については、常磐線沿線と土浦協同病院があるおおつ野地区では医療施設は充実しています。その一方で、高齢化率が高くなっている市北側では医療施設がほとんどないのが現状です。これより、医療施設がないため長距離移動が必要な高齢者の増加が予測されます。

現状7
図7 医療施設の分布

自然・景観

 土浦市は、広大な霞ケ浦のもと「水郷」と呼ばれ、水運が発達した「水の都」でした。北部には万葉の時代から詠まれる筑波山麓が広がり、小町の里を中心に自然豊かな里山風景が広がっています。中心市街地は土浦城址を中心とした旧城下町や旧水戸街道に見られる歴史的な街並み等の資源、風格ある集落や寺社仏閣、遺跡、祭礼等の歴史・文化的資源など数多くの歴史・文化景観を有するという特徴があります。また、今年9月9日に沖宿のハス田、土浦城跡などが筑波山地域ジオパークに認定されました。ジオサイトパークとは大地の成り立ち、地形や地質をテーマに、地域全体の自然環境、歴史、文化、暮らしなどを展示物とみなした「大地の公園」のことです。一方で、課題として
 @県南地域の活性化により貴重な自然景観や歴史・文化景観の損失
 A駐車場の新設による街並みの分断、まちに馴染まない大型建築物の設置などによる景観の悪化
 B霞ヶ浦の水質汚染問題のような人々の活動による自然環境への負荷増大
などがあげられます。今後は市民、事業者及び行政が協働して積極的に景観づくりに参加し、保全に努めていく必要があります。