社会工学実習都市計画分野の意義
-Concept of Policy and Planning Sciences Urban and Regional Planning-


1.つくば市の位置

よく勘違いされますが、「つくば市」は「筑波市」ではなく、平仮名で表記されます。茨城県の南部に位置し、東京都心から北東の方角に約60kmの位置にあります、人口は約20万人で、茨城県内でも県庁所在地である水戸市に次ぐ中核都市に成長しています。

◆つくば市の概要
・茨城県南部
・東京都心から北東へ約60km
・大部分は標高2030mの台地
・面積:284 km2
(日本→378,000 km2)
       (茨城県→6,096 km2)
人口:204千人(日本→127,000千人)
       (茨城県→2,975千人
世帯数:8万世帯


2.
つくば市と研究学園都市の違い研究学園地区について

車道を車で走ってると、標識には「つくば市 ○○km」とか「研究学園都市 ○○km」と書かれているのを目にします。つくば市に数年住んでいても、両者の違いがわかっている人は少ないと思います。では、「つくば市」と「研究学園都市」の違いってなんでしょうか?

基本的には、「つくば市」と「研究学園都市」は同じものを指します。つまり、「研究学園都市」と言われたら、つくば市と同じ区画を指すわけです。

筑波研究学園都市
つくば市の区域.
人口約20万人(約8万世帯)
「研究学園地区」及び「周辺開発地区」から成る.

研究学園地区
都市の中央部:約27km2
・計画的な開発で国の試験研究・
・教育機関,都心地区,住宅地区,
公園等を配置.

周辺開発地区

「研究学園地区」以外の区域
257km2


また、会話の中で「研究学園地区」というのを耳にすることもあるでしょう。「研究学園地区」とは、都市の中央部にある
で表された地域で、つくば市の中枢機能が設置されています。今から40年前に国のプロジェクトで計画された歴史の浅い地域です。また、それ以外の地域は「周辺開発地区」と呼ばれます。「周辺開発地区」は、つくば市の約9割の面積を占め、「研究学園地区」ができるずっと前から存在しており、長い歴史を持っています。

3.筑波研究学園都市ができた理由

 筑波研究学園都市が国のプロジェクトとして作られた理由として,主に以下の2つのがあります.

  ○都心の過密緩和
  ・必ずしも東京及びその周辺に立地する必要のない国の研究機関等を計画的に移転すると共にその跡地を適正利用することにより東京の過密緩和を図ること.


○科学技術の振興と高等教育の充実
  ・高水準の研究と教育を行うための拠点形成とそれにふさわしい環境を整備すること
 ・我が国の3割にあたる国及び独立行政法人等の試験研究・教育機関,約120社の民間研究機関が立地.

4.つくば市の歴史

1963 研究学園都市の位置規模を閣議了解
1966 研究学園都市の用地買収開始
1970 「筑波研究学園都市建設法」公布
1971 筑波研究学園都市建設計画の大綱
1973 筑波大学設置 ⇒翌年第1回入学式
1980 全ての移転研究機関(43機関)業務開始:学園都市の概成
1981 1回まつりつくば 開催
1985 常磐自動車道が東京と直結
国際科学技術博覧会
開催
クレオ(西武,ジャスコ),ダイエー
開店
1987 「つくば市」誕生(’87:豊里,大穂,桜,谷田部,’88:筑波)
東京駅
-つくば間で高速バス運転開始
1990 茨城県「グレーターつくば構想」策定
つく ば三井ビルディング
竣工
1993 土浦・つくば・牛久業務核都市基本構想承認
1998 「研究学園地区建設計画」「周辺地区整備計画」改訂
2002 茎崎町と合併 ⇒現在の市域に
ダイエー筑波学園店
閉店
2004 LALAガーデンつくば 開店
2005 Q’t 開店
つくばエクスプレス(
TX)開業
2007 つくばナンバー 導入