| 1.序論 |
2003年3月20日、神栖町木崎の30代の女性とその子供が、体の震えや歩行困難などの症状を訴えた。担当した大学病院の医師は、その時に原因を判明することができなかった。しかし、同地区で同じような症状を訴える人が増えた。その人々に共通しているのは「井戸水を飲用水としている」という点。奇妙な共通点に気づいた医師は、その地域の井戸水に注目した。すると住宅の飲料用井戸水から、水道法の水質基準の約450倍にもおよぶヒ素が検出された。今回の患者の症状は生命を脅かすまでには至らなかったが、重症である。その原因が、生命が生きていく上で必要とする飲み水であったのだ。
私達は普段から当然のように蛇口から出てくる水を飲料水として、また調理用の水として体内に摂取している。その多くは浄水場で処理を施された水道水である。しかし現在でも井戸水を利用している地域は多い。日本全国の上水道普及率は96.3%(平成10年度現在)まで達しているのにもかかわらず、飲料水を含めた日常の生活に井戸水を利用している割合は32.8%である。
井戸水からヒ素のような毒物が検出されるというのはきわめて特殊なケースである。しかし、近年様々な要因による地下水汚染問題は広く認知されるようになっている。平成9年には環境庁告知第10号で地下水の環境基準値が定められた。これには、生活排水に含まれる有機物と浄水場で消毒に用いられる塩素が反応してできる発ガン性物質トリハロメタン、化学製品の廃棄の際に生成されるダイオキシン、工場や事業所などで洗浄のために使われるトリクロロエチレンなどが含まれる。しかし最近では、農作物への過剰施肥、畜産排泄物に起因する硝酸性窒素、亜硝酸性窒素が特に問題視されるようになってきた。
硝酸性窒素を多く含む水を摂取すると、その一部が身体の中の微生物によって還元され、亜硝酸性窒素が発生する。この亜硝酸性窒素は血中のヘモグロビンと酸素よりも優先的に結合し、メトヘモグロビンを生成する。これによって体内での酸素供給が十分に行われず、特に乳幼児はメトヘモグロビン血症と呼ばれるチアノーゼ状態に陥ることがある。この症状が激化すると乳幼児は死亡してしまう。また、近年の研究により、小児の糖尿病と飲料水中の硝酸性窒素濃度との因果関係が認められている。
硝酸性窒素は現在の農地はもちろん、これまで農地だった土地にもそれまでの蓄積があるため、抜本的な土壌からの除去が困難である。また、いったん水に溶けると除去に大変なコストがかかる。さらに、発生原因が農業一般のことであるため全国各地で多く見られるようになった。平成11年には地下水の環境基準にこの硝酸性窒素、亜硝酸性窒素の項目が加わり(基準値は10mg/l)、日本各地で深刻な問題として受けとめられている。
沖縄県の宮古島は地層が不透水の基盤であるため雨水などの島へ流れ込んでくる水が地下水として土壌に貯まりやすい。世界的に例の少ない地下水確保のための地下ダムが現在建設中のものも含めて3つある。住民たちはこの地下水に飲料水を含む生活水を頼ってきた。しかし1980年代になって、地下の硝酸性窒素濃度が大きくなっていることが判明した。濃度は基準値を上回るほどではなかったが、汚染は島全域に広がりつつあった。これを受けて宮古島の4市町村で結成している宮古島広域圏事務組合は全島に渡って地下水を調査、汚染源と汚染原因が主に農業の化学肥料にあることを突き止め施肥方法の改善を積極的に行っている。その結果として最近10年での濃度は緩やかな減少傾向にある。
千葉県でもやはり同じ原因により地下水の硝酸性窒素濃度が年々上昇している。行政の対策では、やはり汚染原因である施肥方法、肥料の種類の改善、また県内での上水道普及率が97%以上と多いため、残る2%あまりの井戸水利用者が早期に上水道に切り替えることを促している。