付録 モール505へのヒアリングまとめ


 現在モール505に入っている店舗は、昔は滝の広場周辺にあった祇園町という町に存在していた。しかし、万博にあわせて高架の整備が必要となり、祇園町が移転せざるをえなくなった。そのため、市が駐車場として利用していた現在の位置に、大規模なショッピングモールを作り、等価交換を条件に移転した。モール505は、東京の大学の教授がデザインし、鹿島建設が建てたということである。
 当時は若年層をターゲットとし、ファッションストリートとして人の出入が耐えない賑やかなモールであった。しかし、栄えていた頃も1,2,3階全ての店が埋まっていたわけではなく、客の出入は1階に集中していた。そこで、モノを売る店は1階、飲食店は2階、サービス(事務所など)は3階というように分けていった。
 現在、モール505の店には両側に出入口があるが、店によっての入口は別の向きである。モール505全体としては高架側に向いているという印象を受けるが、それは当時の名残を残しているためである。イトーヨーカドー、セイユーが撤退する前は、モール505前の広場にも多くの人が集い、イトーヨーカドー側の通路よりもむしろ、高架側の広場のほうが賑わっていた。そのため、現在のように高架側がモール505の入口となっているのである。しかし、モール505ができた当時、経営者は現在の広場を駐車場として整備し、イトーヨーカドー、セイユーに向き合う道を入口にすることを臨んでいた。しかし、市からは金銭面の問題から整備できないと断られてしまった。
 イトーヨーカドー、セイユー、丸井と、モール505周辺の大型店が撤退していくにつれてモール505も徐々に閑散としていった。イトーヨーカドーがウララに移転する際には、2店舗経営という話であったが、採算性の面から現在のウララに移転するだけに留まった。
 モール505内では今までにも様々な試みが行われてきた。モール505のステージでは休日にバンド演奏など様々なイベントを行なってきたが、賑わうのはイベント中だけであり、演奏が終わると買い物をせずに帰ってしまう。それほどモール505の店に魅力がないというわけではないが、大型店で買い物が足りてしまう現状と、モール505の建築上の不利さ(縦に長すぎること)を考えると、一部を活性化することはできても、全体として賑わいを復活させるためには、一体的な整備を行っていかなければならないだろう。
 我々の提案にあった、若年層をターゲットにするという案もあったが、学生の集まる場所での防犯面への危惧から、踏み出せずにいる。また、チャレンジショップについても「今入っている経営者に迷惑がかかる」という理由から、行っていないのが現状である。図書館がにぎわい広場に移転することによって人の流れが今よりはできると考えられる。しかし、昔のような賑わいを取り戻すためには、周辺との一体的な整備が必要となる。現在のところ、モール505を店以外として活用することは考えていないため、ターゲットを明確にし、モール505の個性を創出していかなければならない。


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