1.土浦市の沿革

土浦のこれからを考える前に、古代から現代までの土浦市の歩みを簡単に振り返ってみることとします。


古代

現在の霞ケ浦は淡水ですが、奈良、平安時代頃までは海水をたたえていました。大地と入り江が複雑に入り組み、海の幸、山の幸に恵まれたため早くから文化が開け、貝塚や古墳などの分布が多いことも特徴のひとつです。この時代の後期には、霞ケ浦沿岸を中心として塩の生産が始まっていたといわれています。上高津貝塚では、土偶や腕輪、土器、骨角器だけでなく、製塩土器も見つかっています。
霞ケ浦は古くは信太流海(しだのながれうみ)と呼ばれていましたが、平安末期から鎌倉初期にかかる頃から「霞ケ浦」と呼ばれるようになりました。


中世

平安時代から室町時代に移る頃、桜川デルタ地帯には人が住み始めるようになりました。現在の土浦城の原形といわれる場所には、「中城」と呼ばれる集落ができ、それに少し遅れて桜川の東に「東崎」といわれる集落が成立しました。


近世

中世に成立した集落「中城」と「東崎」は、江戸時代に入ると武家町の「中城町」町人町の「東崎町」となり、それが現在の住宅区域と商業区域という市街地の骨格を形成することとなりました。
土浦城の城外には武家屋敷が立ち並び、一方、江戸前期に開通した水戸街道の交通量の増大や霞ケ浦の水運の発達により、町屋も新たに設けられることになりました。また、旧桜川沿いには、水運を利用した商いをする、穀類や肥料などの問屋が軒を連ね、土浦は、水陸両面での交通の要所として、物資の集散地として商業が発達していきました。


図.1.1 江戸時代の土浦中心市街地


明治時代

明治時代に入ってからも、商業は、霞ケ浦を媒介とした水運や魚類の大規模な取り引きで活況を呈しました。また、この頃になると、金融業を兼ねた商社や銀行も設立されました。


大正時代

大正11年に隣接している阿見村に日本海軍の「霞ケ浦航空隊」が開設されると、それまでは、城下町的要素を中心に交通商業都市として発展してきた土浦は、軍都としての顔もみせるようになりました。
耕地整理と並行して大規模な市街地造成が進められ、多くの海軍住宅が建設されました。また、常磐線、そして地方鉄道として筑波鉄道も開通し、明峰筑波山の観光開発に多大な利益を与えました。


昭和時代〜

昭和に入り、自動車時代になると、霞ケ浦湖岸の道路整備が進められ、隆盛を極めていた霞ケ浦の水運も次第に衰えることとなりました。また、増え続ける自動車交通量に対応する形で、水路を埋め立て、土浦駅と国道6号を結ぶ亀城道路が建設され、水運の要衝地としての土浦の歴史は幕を閉じることとなりました。
豊富な農地や林地は、都市化の影響を受け、住宅や工業用地となり、首都圏のベッドタウンとして、様々な開発が行われました。その結果、人口は順調に伸びつづけてきましたが、最近では、増加も緩やかになり、ベッドタウンを超えた、新たな個性を持った土浦の創造が期待されているといえます。


グラフ.1.1 土浦市の人口推移


2.土浦市の概要

土浦市は、東京から60キロ圏内にあり、筑波研究学園都市に隣接しています。また、新東京国際空港や鹿島港にも比較的にアクセスが良好で、将来発展に向けた地理的優位性を持っているといえます。また、日本第2位の広さの湖である霞ケ浦や、桜川、丘陵地帯の斜面林など水と豊かな自然に恵まれていることが特徴です。なお、地形は、市の北側から、台地・低地(中心市街地・桜川)・台地・低地(花室川)・台地という構成です。
交通条件は、常磐線、常磐自動車道、国道6号などにより東京および周辺主要都市と結ばれており、また、今後整備される首都圏中央連絡自動車道や常磐新線は、県南地域の基幹交通として重要な基盤になると期待されています。


図.1.2 土浦市の位置


3.土浦市の現状および問題点

(1) 中心市街地

中心市街地は、土浦駅を中心に西側に広がっています。
商業に関しては、駅前再開発事業によりウララが開業したものの、西友・旧イトーヨーカドーの空きビルやモール505・商店街の空き店舗が目立ち、土浦駅前全体としては衰退の一途をたどっているといえます。また、亀城公園・土浦まちかど蔵大徳などの歴史的資源に恵まれているにも関わらず、活かしきれていない印象を受けます。また、隣接する桜川は、歓楽街が間に存在していることが影響し、市街地と一体的になっていないこと、同様に近接する霞ケ浦も、湖岸の整備とまちづくりがリンクしておらず、湖の魅力をほとんど享受できないなど、せっかくの豊かな水資源も活用できていません。
交通に関しては、駅前道路での渋滞が慢性化しており、バスの定時性確保や歩行者・自転車利用者等にマイナスの影響を与えています。また、虫食い状に存在する駐車場も利用者に不便であると同時に景観などの面から見て、まちの魅力を低下させていると思われます。

図.1.3 土浦市の問題点

(2) 郊外
 
郊外を訪れると、名産のれんこん畑を中心とした農村風景が広がり、貴重な景観・自然環境を楽しめます。しかし、多くの道路はきちんと整備されておらず、歩道が狭かったり設置されていなかったりして、自転車や歩行者にとっては危険な環境となっていました。
農村を少し離れると、幹線道路にはロードサイドショップが目立ち、人々が自動車移動を中心とした生活を送っていることが想像できます。交通量は非常に多く、国道6号をはじめとした幹線道路では、慢性的な渋滞が問題です。
いくつか区画整理された住宅地も広がっていますが、そうした住宅地では、街路樹などの公的な緑が少なく、また街並みもブロック塀が広がり、無機的な印象を受けました。また、最近の区画整理事業では、人口がなかなか張り付かない、といった問題が起こっています。

写真.1.1 れんこん畑



写真.1.2 住宅地

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